Ss171

 僕はこの二文字に常に悩まされた。みんなが僕を見る目・・・。奇異の二文字だ。最初は怒りだった。切なくもあったがもはや慣れるしか無く、僕自身がこの奇異の二文字をいつしか受け容れる。姉は別の言い方で僕に迫る。厭世主義者だ。やっぱり人とは違った言い方を好むのが作家だろうけど実は姉の表現の方が好きだ。世を嫌悪し、はかなみ、そして世からは一線を画している。しかしこれは世の方が、僕を画している。僕には最初からそこが分かっていた。この辺の誤解を解きスムーズ調整していくのも、その時々によって、自分から世を離脱していく厭世主義者。世とは井戸端会議に見られるような親睦の場面と言っても差し支えない。そして・・・厭世も遠征に掛ければ、中々面白みある、あじかん川柳〔味が貫徹するという意味〕に変身で忽せに出来ない。僕は様々な要素も絡んで57歳の厭世主義者になったが、もしも、どこかで道を間違って家庭人になっていたら、一体どうなっていただろう?って。想像するとやけに騒々しい。にぎにぎしいまでのその屋根の下で僕は紅潮する。家庭の賑やかさは思い出の中だけで十分だ。そこに姉が、父が、母が居た。賢祖母もいた。自分が家庭を持たなかったことを全く卑下してはしない。運良く、ここまで生き延びて来れた。これからも僕は孤独のランナーであり続ける。孤独は人生のトレードマーク、それ以外の何物でもない。