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 貧乏であっても強い正義感があれば悪いことに手を染めることはない。そういう点で僕は自分を評価出来る。大体、貧すれば鈍する路線に陥り易い。たとえば僕だって千円落ちていれば拾うしそれをいちいち届出はしない。しかしもっと世間でいう処の大きな問題にぶつかった時に僕は理性的でいられるし、聖論〔新語で正論の反意語〕を吐き出せる。この時の自分が好きだ。例えばどんな時でも僕は自分の主張を曲げない。しかし、こと姉に関してはルーズさは浮き彫りになっているし、そこが僕にとっては争点になる。僕は姉が女性だから弱いのだ・・・と随分長い間思って憐憫の情も保ってきたが、全くそうではない一面を昨今見せて来た。姉はずる賢い人間だと今の今、そう鑑定する。この狡さは幼い時の姉にはなかったものだ。最初の7年間の結婚生活とその後の33年間の結婚生活、合計すると40年の結婚生活を経て、姉の狡さに磨きは掛かった。それを言う時の僕の悲しみはいかほどか、みんな、察して欲しい。姉は当初の僕にとっては母の次に愛する女性だった。それが何と今は63歳になって僕を睨みつける。しかしそれでも思い出すのだ。姉が幼い頃や、十代の頃の美しい感性をまだ心のどこかに持っているとすれば・・・?もしもそれを僕が認めることが可能なら、僕は生きていて良かったと嗚咽を漏らすことだろう。