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 恋の病と言うものが本当にあることを僕は知っている。だからこそ、その病が襲ってきた後のまだ、立ち直れない病状の苦しさは本人にしか解らない、例えようのないもの。しかし本人のみに任せていたら全く機能しないコピー機のように列が並ぶ。苦情が出る。やはり専門の修理技能者を呼ぶことの大事さを痛感する。本人はまだ未練があって、正しく取り戻したい時間もある。そこまで推察出来るのも壮絶なこのジレンマから立ち直っていくのも、大いなる人生向上術の中に盛り込まれるからだ。大作家たちも詩人たちも、恋によって研ぎ澄まされた感性を与えられてそれを表現し大成出来た。そこを思うとなお恋というものの不憫さも改めて浮き彫りになる。僕は失恋した友人を慰めたりしない。相手がきっぱり別れを告げてきたのならもはや男から追い駆けるのもよろしくはない。しかし本人はどうやって絶ち切ればいいのか悩みに悩んでいる。僕は自然のなすがままに・・・としか言えない。やがて時間が激流となってすべての風景を取っ払っていくし、その大きな企みこそが自然治癒と呼ばれるものだろう。厄介だったし、心が滅入った分、人は謙虚になれる。迂闊には誰も信じられなくなる。大人の仲間入りをする格好だろう。恋の中にあった瑞々しいものをきっとどこかに忘れずに失恋者は持っているものだ。その瑞々しかったほとばしりこそが恋の名残と言える。誰にも消すことが出来ない想い出となるのだろう。