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 注意喚起という四文字が好きだ。しかしこれは僕等が高校時代には無かった言葉だ。注意喚起というからにはそこに滲んでいるからだ。アドバイスや懸念も織り込み済みで心も引き締まる。特にこの国には思想がないことを以前から感じていた僕等の世代にはそれなりの覚悟も要るかと思う。迷わず恐れず作りだす勇気も問われている。何に向かっているのか、僕等の国が目標とする指標が余りにも稚拙だ。こういう勝って行く構図やセオリーにこと苦手意識を持ったのも自分たちでは何一つ賄えないからとする戦争に対する弱さから?とそこで勘違いしてはいまいか。この国の優秀度がエリート軍団達が培ってきた面をもちろん否定はいない。それはそれで素薔薇しいし、貢献度を今更反故にする積りは全くない。しかし余りにもバラエティーに走り過ぎてその生き方のずさんさに、相手が容赦なく蹴りを入れて来る可能性も否めない。これからの善戦はすべて僕の手に掛かっているのでは?決して嬉しくはない。安直な気持ちになれないのだ。僕は将来を一年後まで見据える。その先は全くまだ手つかずだ。しかし一年一年余命を得て行く難病のシルバーのようなあゆみも大事だと捉える。これを機に憲法を変えようなど、怖れ大きい。そういうアバウトな人々がいることが、事実上僕の歯止めにはなっている。彼らの眼光は常に戦争戦略に向かっている。