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 僕の観念では重大なことも、世間一般が重大とは受け止めず、しかしその逆の時もあって、僕はその時に覚醒する。なぜならそんなこと気にも留めないと世間は思うかもって、高を括っていたものが慎重に取り扱われる時、僕は温度差と同時に、どれ位、マスコミは取り上げようとしたか?なども興味立ち上げに加わって、随分、当初の雰囲気とは様相を異にしてくる。この辺で僕は本来の自分自身が立ち上がって来る。そしてそれを僕は歓待する。僕らの世代に興味深いことは百あるとすれば壮年の人々が興味深いと断定する百とはおのずと違って来る。この順位や方向性にももちろんバラエティがある。僕が何てことないな~って思っても、同年代の男女がそれは興味あることと言うかもしれず、かといって、僕らにはすぐさま同調はない。それと同じく、幾ら壮年世代で重要案件とされる事項でも即、若者の同調は得られない。このかい離を埋めるのは誰なんだろう。すこぶる、斬新な時代のカッティングバサミでもなく、ひとつの論点に多くの人々を集まらせることが出来る、集合形成力を、世代間パートナーシップと呼んでいいだろう。離れている両者を接近させしかも同じテーブルで論点を探り、明示し、比較までお互い行い、なおかつ、答えも見い出していく普遍性、そして同調の中にある、相異点。こういった探るべくが段々見えて来た時に、真実の政治力も問われ始めていく。政治は政治屋が切り盛りし事務方は処理に奔走するという本来あったものが大きく転換していく兆候地点に我々は今立っている。