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 僕は人それぞれが自分の向上心と適合被写体を持っいて、おいそれとはひと様のゾーンでは納得出来ない拘りを持っているとそう観測する。たばこを吸っている人々を見てその思いを新たにした。煙の中で息をしていることは、煙草が好きな人には全然苦しくはないのに、煙草を吸わない人々から見ると、視点を移すとそれは不健康に見えてしまうのはもっともで、しかしみずからの自覚を曖昧にせずに煙草を吸って息抜きをしている人々を見ていると、自分が持っているブログの世界も同じ理屈が流れていることを思い知る。ブログを毎日のように更新する人々は日々拡散しているが、それが煙だとすれば、ちょっと不可思議な神経も同時に網羅かなあって自分自身の日常を思い返す。僕の日常は誰かの日常に取って替わることはないように、煙草を吸っている人々の煙が少しだけルームから漏れて、そこを行き交う人々の鼻の近くまで行くことによく似ている。その人が煙草が嫌いならすぐにも嫌悪を感じるし、そこまで煙草の煙に神経質ではない人なら、ごく普通のスモーキングルームからの匂いととるだろう。しかし嫌悪する人々にとっては嫌な臭いなのだ。同じものでも漢字で振ると違って来る。僕はブログ人口が日本でここまで躍進して来たことがとても嬉しい。そして匂いと臭いを嗅ぎ分けてしまうまで成長した周囲の環境にも目を見張る。これで良かったのだろうか?恐らく僕の漸進はこの国に緩やかな上昇気流を生み出すだろう。