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 悪いことが重なっても、これしきなんぼのもんや??!!と逆に開き直り、張り切って行けるファイトを持つことは、平常心を続行していくことよりも、ワンランク上にあると僕は思う。皆がスポーツ会系じゃああるまいし?っていぶかるかもしれないが、文学にも写真にも絵画にも音楽にもファッションにも歴史にも、ほぼどの場面にも網羅してあるのが意識の高さだ。これは何もハイソサエティを指してはいない。どんなに上から抑えられても雑草のように生きていける魂で、それを育むのは決して他者ではない。今まで僕も分からなかった。小さい時からひとつのことに熱中し努力と練磨の時間を積み木のように重ね得た者が、勝者だとそう思ってきたが、そこに空洞が存在したのだ。時間的労力があっても培われない性質の固定化されたもので、まだ、発表されてはいないものがある。コントロールに似た語彙だと僕は指摘する。自分を制御出来る能力だ。新語で出しておこう。ハイパーコントロールだ。例えば僕の資質の0、11パーセントしか出していない今の状況でもこれは百パーセント近いと馬力を出していると、世間が思うのならそれは成功。僕はたいして努力もせずに得点を稼いでいる。これは打点ではない。誰かが打って僕がホームに入場しているだけ。そこまでの勘違いを起こせているとすれば美味い話である。