Pp513

 胡蝶蘭を初で詠んだことが、私の短歌の手始めで、この蘭を見るとどういう訳か振り出しに戻される。伴侶が最後に入院した病院のナースセンターにこの花が飾られていて、私は退院する前にグーグルガイドとして撮影したの。短歌の最初というと宇部にいる時ですね?私は子供を歯医者に連れて行きそこで美しい花を観て感動する。すぐにも詠みたい気持ちになるけど、まだ、子供も小さいし、言うことも聞かずじっとしてない。蘭を頭の中に残像としてとどめて家に帰って早速取り掛かるけど運転中にも浮かばないものは家に帰宅しても浮かばない。私はその時に即興の脅威を文学で学ぶのよ。やっぱり歯科医院にいる時に詠むべきだったという機会応答論ですね?ええ、一気に雪崩落ちてくる言葉の脈絡というものは、すべて即興性に満ち溢れている。こうして年を採ることでそれを段々とキャッチ出来ている感じはある。嬉しい感覚ですね?それで今日はその花に誇張を掛けるのではないですか?よく分かったわね~~川柳で詠むことで俳人でさえ辿り着けない境地まで行くから面白い。今日ね、サンチェスのホームランを見ていて、蘭のカーブと全く同じことに気が付く。そしてそのゴージャスさも同じってことが頭に雷鳴する。でわお願いします。僕のこと? 胡蝶蘭と 呼んでくれ☆球のカーブが誇張していくからこそホームランは生まれる♪☆