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 俺はアメリカ人の前に出ると俯きがちになってしまう日本人の一人だが、その心の片隅には常に体格があった。もちろん鼻の高さもある。もうひとつ、のっぴきならなかったのが言語だ。世界の共通語として英語が君臨しそれがしゃべれないことで僕は陰鬱な劣等感の塊になる。しかしこの言葉が出て来たことが俺の心意気に拍車を掛ける。団隗の世代だ。俺はそれを恥ずかしながら〔だんこん〕と呼び、しかし幸いなことにひと様の前で発することは一回もなく、ことなきを得るが、教訓にする。日本にはこのような自分を利する国語力がある。この発展に力を注げばいいのでは??しかも英訳ではこれはどうなる??って。俺はそこから少しずつ牛歩の歩みで日本語の開帳に挑むのだ。人がどう思うかよりも自分の裁断をあえて仰ぐ。自分がなければどんな素晴らしい言葉でも死に体になるからだ。いずれ、俺の時代が絶対に来るなどと、微塵も思わず、ひたすら努力の塊になる。だんこんと間違って読んだ理由もそこで明らかになる。俺は隗の字と魂の字を見誤っただけ。そうすると恥ずかしさも無くなって俺はもっと精進するようになった。日本には宝がある。その宝の山も特定出来ず、終わるなど俺には全く考えられない。団隗の世代は日本の核となって今後もその思想体系に於いて一定の位置と思想を包括する。そこから出される提言を無視して歩む愚かなる日本ではない。