僕は今まで、戦争の爪痕によって親を奪われ戦災孤児となって、悲惨で壮絶な人生を余儀なくされた人々の証言をBS で観ていた。奇しくも大リーグが放映される直前で僕にも思うところがあった。今までアメリカでスペイン語を教えていた証言者が、60年前に靴磨きをしていた場所に立っている。もちろん、色々な思いが駆け巡ったことだろう。終戦後3年間は、日本は子供のことを省みる余裕はなかったという。どさくさに紛れていた時代を垣間見て僕は自分が座標にちゃんと立てていることに安堵する。この証言者たちに心を寄せあって行ける自分がいる。野良犬のように扱われ、嫌悪の眼差しに堪えながら、生きていく為に仕方なく盗みに手を染めた人もいた。生きる意味を考える暇もなかった。日本は確かに猛烈なスピードで復興を遂げて行く。しかし重たい口をようやく開いてくれた証言者たちの経験談には、今後の日本にとって糧になる言葉が、否応なくちりばめられていること....そこが快挙に通じている。