Ss70

 僕達は戦後世代と呼ばれ実のところ、何不自由なく育てられてこの経過を隈なく観ても凡そ、苛めなどクラスには存在しなかったを記憶する。この苛めが根を張って蔓延るまでには相当期間を要したはずで、日本の経済健全化の後に来るのは、苛め問題解決を僕個人として提起している。識別される限りの格差を網羅して日本を顕微鏡介在で見ようとしても、中々苛めの菌を特定出来ない。ここにメスを入れることが出来るのは実際に苛めに遭ったことのある人間にしか出来ない、特別な視点があると僕は睨んでいる。一回でも苛めに遭うと、人間不信に陥ってしまう。その善良な志向を僕は違うでしょ??とは言えない立場にいるといっても過言ではない。人それぞれ、置かれているケースや痛み度、環境もあるだろうけど、一律にあるのは、苛められた人には悲惨が、苛めた側には良心の呵責がある。苛めを受けた側は必要以上に悩み、遂には人間不信に陥り葛藤の蔓に絡まれて今もあるし、周囲も予想以上に冷たい。かといって環境が整いつつあるかというとそうでもない。行政もしっかりやろうとしているけど、まだまだ、危険ゾーンに位置する子供達を拾えてはいない。苛めを語る時に、後々問題になるのは、僕たちが持っている偏見という視線。ここが最大値としてネックにはあって、それが様々な観点を生み出す要素にもなっている。経済が正常になった暁に、次僕はこの苛めを解決へ向かうとは今朝、初の論点にもなって、泡を吹く方も多いだろう。国を思う心があればある程、忽せには出来ない視野になる。