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 このスタイルに替わってから宝石の名前が消えて、僕はストイックな思いに包まれる。人生に於ける宝石と時計についての両者に思いを馳せる。確かに時計はいつの場面でも頻繁に見る。個人として開業したそのお祝いに出身の大学研究室から時計を贈る風習。それは理解が出来る。宝石はサイズがあってしかも、エンゲージリングに見られるように個々的な思いが強いからか、そこまで時計にようには普遍的には回っていない。我々のひとつの習慣的固執かもしれない。僕だって宝石は排除した方がよりスッキリなると、当初は思い込んでいた。しかしどうだろう。宝石が無くなって、窓にあった鳥籠の中の鳥がいなくなったように、寂しさに蹲っているのが現状だ。海の遠くに島が・・・このプロローグで始まる三好達治の詩、アンフォンス・フィニーのように僕の心は島を正面に海に面している。