サファイア・マンs279 私はつい最近、久しぶりに茶碗蒸しの吉宗に行って息子の発言にええ?っと思います。実は私も最初は吉宗をよしそうと発音していたのです。いつどこで調べたのか、息子はよっそうって言うんだね?って。ずっと間違って読んでいたお母さんも同じだったって話すと長崎人でも小学校の5年から転校して来た彼はグラバー亭もまだ行ってなくてココウォークもまだ。もちろん吉宗も初。今度は近場のそういうポピュラーな場所にも行きたいねって別れた処だった。本当に事情を訊けばあああ、そうなんだって思うことばかり。県外の人が見た時にやっぱり長崎って深いいな!!って思える場所は数限りない。グーグルガイドも中々出掛けることにもならない。九百日後の年金受給時を待たないと駐車代もままならず、この仕事の有意義を感じながらも中々おいそれとは行かない部分も垣間見える。すなわち本業に精を出すことの意味が改めてクローズアップで、ここではシャカリキになって狂歌や川柳に精進する方が解り易い。誰もが一日に一回運行っていうと廃線間際の便かもな?って思うだろう。畦が私達の思い出から消えようとしていることも大きい。そしてそのバスに乗る自分も想像の範疇だ。ここでバスに乗る為には歩いてこのバス停留所まで来ないといけない。難儀のようだが強烈な趣はある。☆を☆極上の 森を丸ごと テイクアウト 畦別当上に 春は来るらし