アクアマリン・マンa48 俺の今年は停滞の年だった。座わったまま何も考えない、そんな時間の坩堝の中で過ごした。スタンスがまだ見つからず、何から手を付けたらいいのかてんで分からず右往左往した。この一年はまるで365枚の積み木で僕は幼児のように遊んでいただけだ。あいうえおとそれぞれ表示のある積み木で僕が一人の大人として積み木の木の感触に戯れていただけ。そんな貧しい僕の執筆生活を来年からいきなり変えようなんて無理からぬ。無理だという旨もそんなに抵抗しないだろう。しかし週一という立地がいいのかもしれずそこに感謝をする。もしも毎日なら僕は僕でなくなる可能性も否めず苦労は承知で後先に追われる身かもしれず、時間と言うウィークリイという枠組みに僕は自分がぴったりだったことに厚遇を禁じえない。これからの2019年を思うと、この年度に消費税の改訂が来ることが最も辛い僕でそれをまだどうにか出来ないものか?を考えるけれど、決まっていたことだ。財源確保も視野内だから僕が様々言うことは差し控えたい。消費税をそこまで容認出来るのも切りのいい数字だからという僕の算段もあって10パーセントが計算し易い。そこが真っ先に挙がる。この数字から次上がる時は世の中も相当変わっていることだろう。俺が信じられない世の中になっているかもしれず先が楽しみだ。増税は仕方ないとするのは僕だけではなく全体に浸透していると皆が見ている。政治が力を発揮出来る国でなければ民主主義は破綻するしかない。政治力は扇の要であるべきと俺は疑わない。それ以外で何かを起こすとすればベンチャーしかない。この枠組みも考えないといけないはある。まずは固定的概念の古巣であるオベンチャラから一人一人が脱することから初まりを見るだろう。