ルビー・ウーマンr319 その年の末まで自分はこの商売の根本での鬩ぎや辛辣をほぼ知らずに過ごしたといえます。なぜ、そういうことが可能だったかというと人付き合いです。店の中でも誰かと特定し深い懇親を築いたりがなくおおむね平均していたのです。可愛がってくれそうな先輩はいたけど中々自分から打ち解けていくことが出来なかった。どこかに文士の芽があったのかもしれません。どんなに惨めに困窮しても自分はやがていっぱしになる。どこかで強い認識が無ければこんな希望は湧いてこないでしょう。その年皆勤賞だけは維持していたので、翌年もその抱負を司るのです。毎日出勤、休まない。この意義は深くて一回でも休むとこしが折れてしまったみたいに怠け癖が出て来る。そしてどんな試練が来ても落ち込まず明るく笑顔で振舞おう!!って顧客拡大の前に自分には子育てがあってそれを絶対に疎かには出来ないも強固にあったのです。ざぼんちゃんも私の仕事の極意を分かってくれて働く若いお母さんのイメージで接してくれました。時間外の昼間預けて会社訪問に出掛けることも月に一回あったのです。社に行くと様々な対応があってその一律ではない処遇に驚きます。地場私企業と見識に覆われたお堅い企業や公営組織。そこでは雲泥の差があってそのコントラストを見ることも社会勉強の一貫として立ち上がって来るのです。西暦1882年12月。私は一人のホステスとして接客業の水域、原点に立っていたのです。