ルビー・ウーマンr289 私は直感します。無頼派の真価を見極めることが出来る位置にいること。しかしまだ人々の心には太宰型か坂口型、この二つがあるだけ。世間がまだその様相ではあったものの別の胎動も同時に認めてもいい西暦1981年で、私は無頼派の真髄について鑑みるのです。無頼派になくてはならない要素についてです。アウトローな一面も大事でそこがあってなお、正統派にもくみし、己を絶えず淘汰していく。そこで起った反発が彼を巨大にしていくものと....。私はまだ未熟な24歳でありながら恋を描くならこの無頼派がいないと話にならないとする自分がいることを逞しくも自覚するのです。どこぞいいとこの坊ちゃんが偉く大成していい家庭も築いたよ?なんてのはクソ。もっと暗い暗澹とした部位もこの無頼派にはあるはず!!と専攻を厳しく絞ったのです。例えばこんなことも未来に起るのではないのか?というマイナス論も予知としてあった。私以外には文学の険しい道のりを登って行く者がいない状況まで追いやられている日本の未来で、それには耳を塞ぎ見ないことで攻防するのです。あたしはみんなと足並みを揃えよう。しかしこういった部門別、無頼派に於いては研究を重ねてその本当の姿を探求して行こう!!って。詩歌の素晴らしさはもちろん捨ててはいません。しかし物も言えない距離にいながら恋は押して来るのです。彼は私を基本的に嫌っていることは想像の範疇でした。