イエローダイヤ・マンy649 それぞれ方角はあっても、東長崎や南長崎のような個別の言い方が存在しない北長崎と西長崎で、しかし僕のように一回棲んだことがある人間は大体分かる。県立西高や北高の位置でおおよその目安は付く。僕の中ではやっぱり南長崎がどうしても興味の矛先にあって、それもこれもよく遊びに行っていたからだろう。親が中々送迎してくれなかった。僕の家は公共機関を利用しなさい!!という教育方針でバスを乗り換えて遠いダイヤランドまで遊びに行ったものだった。現在の彼は熱心に家で研究に明け暮れている。しかもneatの方で小奇麗に生活している。親も年金世代になって、毎月親の支援を受けていると思いきや、しっかり生活は自分のバイト代で凌いで生活費も入れている。しかし老後のことを考えると途端に真っ青になるという。年金がある今はいいが、父親が亡くなれば半分支給になりしかも母親も病弱ときている。これは随分先に起こることではないと僕に吐露してくる。精神的に孤高なゆえにバイト仲間との折衝に壊れ店をたびたび変わったという。今の職場で六回目と聞き、それでも踏ん張っている姿に僕の心は感服する。家はあるにせよ働く機動力に感服ではない。計画的に暮らしているその緻密度に教えられるものがあった。彼は時間になると、じゃあな!!と笑ってバイトに出掛ける。その後ろ姿に若者の威厳を見届けた。