サファイア・マンs213 土地を開墾して畑にすることは並み大抵のことではないだろうと高を括っていたら、展望が徐々に開けて来る。その年の夏に植えたものがどんどん実りを迎えて案外畑に適した土地だったんだなが判明して、私の心もうきうきなるのです。しかしながら、そういう小さな時には存在した、子供達の大地をこよなく愛せる力は年数を追うごとに心に影を落としていくことになるのです。私の年代は昔ですから、そんなに土を嫌うことはないのですが、現代の子供達はどこか嫌悪します。それは清潔を中心に鑑みれば当たり前と言われるのか?それとも土を嫌悪するなんて何かおかしい、寂しいわね?って言われるか、ローカル度によっても変わることとは思います。すべての過程でそれぞれの家によって温度差があって、しかしこの時点で、宇部に棲んだ時点ではまだ、誰もが大地というものを愛していたのです。そこは断言出来ます。私も自然詠のダイナミックにどこか酔ってる感はあって、自然と共存出来れば、それははからずも大家へに通じる道のりでは?と興味しんしんとなった時期にもなる。作家の線がその頃はまだ、開通していませんから、短詩的に物事を判別する習慣が付いて、オムニバスにしてそれらを頭の項目ノートに刻んでいく作業が毎日です。運転中でも誌の構成に掛かっていることが頻繁で、心を標準に戻す瞬間が子供達に対峙する時だったと回想するのです。