サファイア・マンs210 暗示や印象、そして類推、それらを網羅した短歌とはいっても、当時それをしっかり型として把握出来る職業歌人自体存在しなかったでしょう。あえて、私は自分の短歌に添え書きをハガキの中で同時包括したのです。もしもそれが無かったら?今思うとビクっとします。添え書きがあったからこそ、今の文章書きの基礎が作られていった。当時はまだ、プロローグの状態にあった文章術が自分が短歌を詠んだその背景を毎度したためて投函することで上達していった経緯はきっと共通点になるでしょう。人生では最初には解らないということです。相手に分かってもらいたい!!とした私の誠意や丁寧さは日を追うごとに自分自身の糧になって久しい。ここは恐らくどの分野に於いても共通の発展経路になるでしょう。その短歌がなぜ、その場所で生まれたか?など本人の説明なくしては真相のディティールは掴めない。それなのになぜ師達は把握解説出来たのでしょう。相手に連絡を取って?或いはみずからが類推して自分の想像枠で、短歌の解説まで及んだのでしょうか?私にはこの頃から強烈な符合論が己の中でけたたましくも警鐘が起こっていて、我が道を行きなさい!!との視野は開けていたのです。でも?迷いが無かった訳ではなく、手探り状態ではあったと言っておきましょう。私達は未来を予言はしても断言までは出来ない。その理屈通りなのです。