サファイア・マンs202 どれだけ伯母が自分の意見をまくしたてても、教諭を経験した者にしか解らない触覚があると伯母がのたまう時、母親と教諭の間を流れる深い川が見えたように思うし、伯母が亡くなってしまい私がようやく自立への道を歩み始めたことでも鮮明になるのです。予言のツールだったと今なら言えます。そして常識や現実の世界で右往左往しているからこそ、自分がきちんと聞けなかったのだと分析するのです。彼女は何もその時、35才だった私の為だけに話してはいないという発見なのです。三十年後の65才になった私ならもっと伯母の言うことに、なるほどを入れられるでしょう。一体周囲は何が最も将来に於けるようちゃんの最善だと認識していたか?は名目も明らかです。一丁前に五人の子供を育てるということです。自立自営の出来る大人になるようにアドバイスしたり伴走するのが親に与えられた宿命で、その上前を撥ねるような確定キーをすでに押してしまうようちゃんには余程の自信と資力があったのでしょう。普通のコースを度外視しています。自分の力量を充てにしています。この時期、若さが起こしたダイナミックを伯母が静かなる抑制に掛かったとみていいでしょう。指摘された同窓生のようにユーモアがあって、いつも友達に囲まれてはいない自分を見つめ直させる役割を、伯母が教諭の手法を使って行ったことが驚異です。