サファイア・マンs197 伯母と父と私の母は全く違った戦後を送っている。父と伯母は教員同士、ともに似かよる思想というより日常にあったと言えます。母は完全異端児です。終戦によって母は全く違う人間になった、とまではいいませんが、切り替えを余儀なくされた方でしょう。しかし伯母と父には色濃く敗戦のくやしさが滲み出ていて、それこそ、何かで盛り返していくことがこの国の今後を決めると即決しています。やはりタヤの子育てを除外視は出来ません。子供は親の背中を見ながら成長していくからです。父の心にある、いかんともし難い修羅心はいつかは、戦争指導者に普通は行くのが自然なんですが、そこがちょっと違うんですね。国を思う気持ち、その起点が左翼とは全く異なるのです。父の遺稿が出て来る。それはこのブログ小屋を掃除していたらひょいと出て来る。ちょうど私がいる時に原稿を持ってきたのでパソコンで打って印刷したものです。私が40代。どんなに父が昭和天皇を思うか、そこが顕著にわかる文章で私はまるで異次元か?と思った程です。その文章自体長いので又別の機会に紹介しましょう。ここではっきりわかるのはコントラストです。父は右翼に近く、左翼ではないものの、その近くまで追いやられている母。伯母は戦争に行ってないのに、まだ、この国が最高の国を保っていると私に断言する。この自信の源って??