サファイア・マン《緻密な男編》〔194〕アパートを訪ねてきた大橋でのひと幕がいきなりオムニバスのように蘇ってきます。四人の子供がいて、さらにお腹にもう一人いるとわかって、そのおつまみ売りの売り子が発した言葉が私を釘付けにしたこと、キリスト教なんですか?って。センセーショナル過ぎて、こういう巷にいる人々こそが言葉の大動脈を持っている。そしてその宝石箱にしまわれている言葉を箱から出して輝かせることが、自分の役目ではないか?って。親友の裕子が早速お見舞いに来てくれます。ようちゃんには自分のしたためた短歌を投稿したかったのですがそれがかないません。彼女に葉書を預けようと思います。それを頼める程にふたりの心は接近し、お互いの気持ちを伝えあうことが可能になっていたのです。しかし生まれた子供に子供保険を掛けてはやれないくらいに生活はきゅうきゅうしていたのです。確かに夫には内証でカードを四つ残してしまってそこでの深い後悔は生じていて、彼女にそこまで話すには、自分が惨めでならず、お願いは、スムースに手短かに伝えることにします。当時はカード関連は割と緩くて私は夫の名前でJCBカードを持っていたのです。通帳もその頃は簡単に妻が作ることは可能で、緊迫した経済圧迫を、先回りしてキャッシングしてそれを後から返済という形を取っていたのです。