サファイア・マン《緻密な男編》〔193〕宇部に来た時の母の年齢がちょうど今の私の年齢に合致で心があったまって来ます。煙草を吸いながらそれを時間を掛けて吐き出すだけなのに、私には幼児の頃からこう思う癖があったのです。母は自分の世界を持っているという思い。こんな幸せな人はいないとまではまだ思えません。ただ、幼児の直感でそんな味わいの現場は誰にも邪魔はされたくない?!っていう強い直感も働きただただ、窓に煙が傾いていくのを観察していた私で、そういう私の所作を最初は追及して、こっちを見ないで!!って私を厳しく叱ったものの、母は我に返ったのか、一服が終わると水を得た魚のように、いつもの凡主婦の感覚を取り戻していてそれは私の生き方に示唆を与える役割をしていったと言えます。人は誰も心に瞑想の時間を持っているということです。それが無ければ、餓鬼や獣で終わりかねない?いいえ、そんなことはないのですが、ただ、瞑想を持っている方がはるかに人生が向上するということです。我を忘れる為の一服もあれば自分をとことん泳がせている人もいます。周囲を完璧に拒絶している母にも、きっと考える、見極めるという動作に出る瞬間はあって、そこが私の心理に作用するのです。こんな孤立した母が時代から餞別を受け取るとしたら、一体どんな時になるんだろう?って。