イエローダイヤ・マン《標榜編》〔596〕毎日が滞りなく過ぎていくことも重大で、取りも直さず、その事はサラリーマンの未来盤石に関与する。幾ら華々しい成績を今月獲ったとしてもそれが当月だけの資産であることは皆が知っている。一目遼然なのだ。すると会社で一目置かれている人々は絶えず成績を維持する為に奔走しているのはわかるし、それを果敢に積み重ねていくのがいわば出来るサラリーマンの宿命と割り切っている。この割り切りに入るまで皆すったもんだするのだ。理想はある。しかしそれはいつも一段高い場所に据えられていたり、それならまだしも、リスクの伴う理想が実に多いのだ。何不自由なく富裕層の子供達が日常をそつなく暮らしていくように、マンネリズムがやがて常道になるサラリーマンを僕は責められないって最近とみに思う。だからといってやる気がない訳ではない。もっと違うセンテンスを常に求めているし、いつも欲しているのは題材である。この題材に巡り合えることも最近少なくなった。ただ、あの結の浜だけは特別だった。あの砂浜の美しさが余りに素晴らしかった故に、信じられない対比としてあのトイレが浮上してくる。いつ、何どきでもいきなり出て来るのは第一印象である。砂浜は人口であってもそこで戯れる人々は最上のものを求めて来ていたはずだ。それがあのトイレなら明らかに興ざめされる。