サファイア・マン《緻密な男編》〔191〕短絡的で感情的な私にも幸運が巡って来ていたとすれば、息子は不幸中の幸いで骨に異常はなかったこと。私は胸を撫で下ろします。そしてこう自分に畳みかけるのです。子供に病気や怪我をさせない日常が第一。その次にそつのない家事が求められる。この第一第二の存在に改めて敬意を示すのです。しかし現実問題として第三に芸術が挙がって来ていては良くない。後手後手になる可能性を恐れたのです。私は毎日の自分の行動や降りかかって来る事象を家族オムニバス形式で一旦捉えなおすことにする。皆の日常は毎日変化はあるけれど一定の水準と形式があったからです。銀行まで徒歩で行く夫には夫のルールが、琴芝小学校に行く二人には小学校課程の決りごとが。幼稚園がまだ決まらず、家の中で次の年時、幼稚園に行くのを待っている段階の次女も次男もまだ生活のルールがはっきりしていなかったこと、一軒家に移った得体の知れない興奮に体ごとぶつかって後頭部の打僕になったのでしょう。私は彼も幼稚園に四月から通園させようと決心します。妊娠中の身体で先を考えることはもどかしかったんですが、彼が幼稚園に行くことがやがて自分を助けるとそう暗算した。四歳と三歳の姉弟。二人は暫く家で保育でもいいや!!って高を括っていた当初の判断を変更したのです。