いじめによって、時間を捻じ曲げられ、人生を棒に振ったという方々もいるだろう。いじめはどこにでもある。要は自分がどう捉えるかも重要な疑義になる。苛めに遭っているように見えても本人は極めてしゃきっとしている場合もあって、いちがいには言えない。俺も長い間、組織にいて、厭らしい程のこのサラリーマンの世界の攻防を見て来て思うのだ。一匹オオカミになってしまってはこの世界では伸び悩む。かといって、いつでも迎合では、さっぱり成果は出せないそういう仕組みなのだ。個人が組織の中でしっかり自分の適性を伸ばしていく為には、いじめに負けたふりをしてみることも価値がある。いじめに屈したふりで、毎日をそつなく生きて生き延びるのだ。変な話だが、部長が変わっただけで、いきなり嬉しくなって成績を出し始める部下だっている。それくらい空気が左右するサラリーマン社会だ。俺はそういう部署にいて、自分を伸ばしていくことがどれだけ、大変かを論議している間はダメだと思う。負けた振りして、裏ではちゃっかり勝っている。そういう人生を、君達には歩んで欲しいと強く望む。いじめに負けない人生論......いじめに手を染めた時点で、その上司は君に負けていることを、常に認識すべきである。