エメラルド・ウーマン《深窓の令嬢ダブリュー編》〔77〕私が何をほざこうとも、世の中一ミリとも動きはしないんだ!!と居直ることより、もっと単純に自分を図る手段もあって、それがサブカルチャーの世界。里子は自分の能力のなさを呪いつつも、もしかしたら、このネカフェのことに精通していれば、おいおい道は開けるのでは?と楽天的に捉えます。なぜなら、このインターネットの世界にシニア層を取り込むプランが業界で着々と盛られつつあったからです。お子様カラオケとペアマッチさせたり、或いは整骨院とタッグ組ませたりと、多種多様の形が模索され、中年以降の人々が何を主眼に日常を闊歩しているのか?そこが物事の真相核にあって、それを里子が知る位置にあったことが効を奏し始めたのです。このネカフェのエレベーターに乗った時です。何気なく窓を見たら、何と新越谷駅のホームが映っているのです。しかも映っているのは今から乗客になろうかとする人々の足元。なぜ、エレベーターからこの駅のホームがこんなにあからさまに映っていたかということよりも、里子はアングルの脅威を思ったのです。新越谷駅に自分が来たということは、人生を極める為に不可欠だったのではないのか?そこが狭いエレベーターの中で、ホームに佇む人たちの足元が見えたことでより鮮明になる。人生は自分の中で完結しているようで、実は、他者へ向かって何かを訴えている深い物語だったのです。