イエローダイヤ・マン《標榜編》〔507〕俺から僕へ華麗なる変身を遂げたボクの真意はもしかしたら、より紳士的になりたかったという横隔膜内の願望から端を発したものではなかったのか?威勢のいい男の象徴でもあった俺をみずから封印していった経緯を僕はこう表現していいかなあって振り返る。人生の三分の一がもしも今過ぎ去ろうとしているのなら訂正するいい機会になるぞ?っていう自然体の試み。しかもアメリカでは僕はアイで俺は?やっぱりアイに違いなく色々ある日本こそ勘違いや誤解も生まれうる言葉の原野を禁じえなくて、心が奇麗に舗装されてはいない道だからこそ、あえて、僕に拘ったという証明かもしれず、俺を金輪際遣うことはないとしながらも、僕の定着が待たれるなあって自分自身を彗で追い立てている今だ。立派なことを言う積りはない。俺の人生の渦中で、よしんば俺から僕に上手に変身出来たのなら、到達する視野や力量にも差異が将来的に出て来るのでは?と期待含みでもある。人生百年とはいわず、九十代の前半くらいまで、ペンが運べれば僕の人生は大往生!!誰にとっても無二の親友と呼ばれる道具はあるが、僕の盟友はキーボードである。この認識に偽りはなく、日々確信している。誰の人生にも無二の道具は存在し、その人の成長を絶えず促進しているのだ。