サファイア・マン《かけがいのない男編》〔179〕ようちゃんは最後の博徒と化して、幼稚園バスに二人の子供を乗せた後はディズニーというホールに籠って自分の収益を増やす為に奮闘しています。そこはスロットの現場でようちゃんには嵌った台があったのです。アラジンという面白い趣向の台で店内は滅法暗かった。己の神経のすべてを傾倒させていたとはいえ、しょっちゅう時計の針は見ていたのです。幼稚園バスが二時には戻ってきます。その時間には、ちゃんとお迎えをマンションの前でしないといけません。二時半の時もあって、それでも朝の九時半に送ってほんの少しの自由時間しか獲れないことは不満でもありました。自分はスロットで意識を最高潮にしていくことで、現場感覚を磨く為だけに相対していたことがその後、いかに作用したのでしょう。子供達と数時間でも離れて自分の時間を持ちその時間枠の中で戦う精神力を培ったことは良かったのでしょうか。今になってもそこはわかりません。唯、言えるのは私は朝の十時から、お昼の一時半までは単体になって、目一杯チャレンジが出来たという効力の作用でこの思い出が今も雄雄しいまでに残っているということは比較材料にはなっているかもな?って。宇部時代の三年半と熊本時代の三年間は全くぱち屋には足を踏み入れていない。そこを思うとほろ苦くなるのです。