イエローダイヤ・マン《標榜編》〔446〕俺にとっては感動でもニートにとっては良薬口に苦しになったかも?って俺はニートの時代を思い出した。何もかも壁に見えて自分でぶち当たっていたような時期が俺にもあった。車の免許さえ取るのがもどかしくて、なんでクルマの免許が要る?って。そういう不定期の地団駄に陥ることが俺にはあって、精神的に怠け者なのかもしれない。昨夜驚いたのがブラジルのある村での話。全部がただなのだ。住まいも食べ物もそして着るものも。どんなカラクリが?って固唾を飲んで見守った。デリーナさんという七十代の女性が映し出される。助け合い、尊敬し合い、そして協働し、その利益配分で生活する。こういう女傑がブラジルに存在することが俺にとっての快挙で、しかもコーヒー豆の木を映像では初めて見る。三十年前ある宗教がこの村を支配してしまい、猛然と立ち上がったデリーナさんの覚悟!!俺達は彼女の爪の垢を煎じつめて飲まないといけないな。そして、この生活は協働ということで、自分だけ指を銜えていては、生活は一緒に出来ないことに俺は愕然とくる。ニートがもしもこの枠に放り込まれたら?逃げ出すのか?それとも立派に再生するのか?どっちかだろう。