イエローダイヤ・マン《標榜編》〔444〕俺はこういう数字に弱い。どうしてもそこが自分の核になることが心外?ではなく実は嬉しいのだ。俺は四がどんな数字か分かっている。これが海物語ではサメで、千回回してこのサメが出て来た日にゃあ、椅子から転げ堕ちてもいい位にガックリ来たものだが、沢山経験を積み海物語を回して来た強豪は知っている。サメには鬼才があるのだ。奇とあえてしたためないのも俺の本心がそうさせるし神懸りともいう。この問題に関しては若い青年の時分から俺は深く洞察した方だ。本物についてだ。鬼才と奇才、そして機才に関してをまだまだ未熟な日本人は感知していないのだろう。鬼才は神も及ばぬ程の才を指し、奇才は世に燦然と輝く才能。この二つを分けて分析する余地もあって、機才は物事各方面での有能者たちを指している。俺がこのサメに鬼才がある!!とそう付箋を付けるもの自分がこの台を堪能したからではなく、海物語のスロットだ。パチンコでは繁盛したがスロットでは人気を取れなかった。パチ型の台とスロ型の台が堂々と存在するという事でこれは実社会に存在する人材でも言える。その島でいい台を探すことよりも大事なのは自己分析。ダイヤモンド元年を引っ張る俺からのアドバイスだ。