イエローダイヤ・マン《標榜編》〔424〕見解の相違もこれからの結婚を牛耳る重要な決め手になる。その一件で俺は自分の手紙を捨て去ろうと思わないばかりか、逆に小さな誤解を相手に与えてしまった自分を悔いた。手紙を保管している趣旨だ。その手紙は届けて来た彼女の持ち物のように見えはするが、俺の手に渡った時点で、手紙は紙類ではなくなったという変化だ。ここに通常人は案外無頓着で手紙は伝えているのだ。俺の小学校時代、中学校時代、高校、大学時代。すべての時代の変遷をほぼ貫通し俺の人生を標榜して貴重な俺のお宝グッズにも相当する。過去に全く拘ってはいないし、むしろそれらを封印する為、所有している旨が伝わらなかった事が残念だ。人はラブレターの類をまるで自慢物のように捉えがちだが俺は全く思っていない。むしろ自虐にも値する。その手紙をくれた女性達とも二言三言くらいしか話を交わす事もなかった。自分自身への免罪符のようにこの手紙群を保管していることが、俺にとっては自然でも、彼女にとっては無駄なもの?或いは不快なもの?そうでないとしたら、見解の相違だろう。これからの結婚を俺は危惧する。女性側の寛容度がすこぶる狭いのだ。