サファイア・マン《面白い男編》〔167〕奇しくも前日、遠藤周作文学館を訪ねてわかったのは、父は大正十二年生まれで同じ年に東京巣鴨で遠藤氏は誕生。遠藤氏がフランスのリヨンに留学し、日本人も皆無の小さな町で貧しさと重苦しさに耐えながら苦学した事が後の周作文学の結実に繋がったことを思うと苦労も光るなあって。そして海外に行く事の意義にも触れて、二男も同じように今試練を正に受け容れながら、日夜頑張っている姿が、あの時、リヨンにいた遠藤氏も同じ気持ちにあったのだと重なったのです。父は華々しい受賞で沸き返る遠藤氏のことを知っていただろうし、私にも話はしていたと思うのです。何がその人の人生を変えるかは、わからない。きっと谷崎潤一郎賞を受賞したその頃が、遠藤氏の開花の時期だったんだろうなあって。しかし父の長寿に対して、遠藤氏は二十年程早く亡くなっているのです。父はその長く生きた分を、今は黄泉の国で十二分の踏ん張りであったなあって、自分を誉めているとそう思うのです。親があってその親のお陰で今がある私でも、親に反逆心を露にする時はあって、それがこの一件だったのです。夫婦水入らずどころか、水は深かったのです。