今日は脇田大佐の俳句の火曜日!!皆も一緒に学びましょう。脇田大佐は霜月を司令する役で霜月には畑野艦長が乗船。そこで脇田大佐はその霜月が自分として最期の駆逐艦になることを七月十五日に知る。命を受けるからです。脇田大佐の年表をみんなで見ましょう。驚きべきことに大佐は、1920年7月16日に少尉候補生になって、呉の海軍48期を卒業。ここに注目してください。24年後の1944年7月15日、最期の司令を授かるのです。こういうことは珍しくて、一日の狂いもない。そして霜月が沈没する11月25日までなんと134日。この間に停戦講和など話し合いの余地だってあったはず。そして大佐中佐少佐同士が全員揃って論議することだって134日あったら出来たかも??ほなあ大佐、喜一郎定食お願いします。沈没まで 134日 無念かな☆若者を死出の旅に付かせる、そのことがどんなに辛かったかは計り知れない☆