イエローダイヤ・マン《標榜編》〔388〕俺が懐かしい思いで長崎自慢のトルコライスをスーパーなどで購入した今夏。トルコを入れても名称に長崎を入れたりで各社の凌ぎ合いを見せて貰った。ローソンではご飯の部位にカレーが掛かったりしてこれもいいな♪と進取の気風を感じはしたがやはりツル茶んのトルコライスを食っていただけに比較にならないというのが根底にあって、本でも音楽でも言えることだが、最初にテッペンのフライパンを見てしまった顧客の採点は厳しい。当時新大工以外に鍛冶屋町にもツル茶んがあってそこでは別のものを注文した。それは中学校時代だが、長崎の食の傾向の深い懐を知ったことが、今の俺の食脳に寄与するものが大きい。家伝ではないが封印して自分の舌に記録したケースだろう。母は美食家で長崎多良見のびわゼリーをいつも長崎玉屋で購入して各地の友人に送っていた。なんでこうも人がいいの?度を超えているのでは?となったが今頃、知人に言われる。あんときに送ってくれたびわゼリーの息子さんだね?って。贈り物は神係った品物だ。後生人々の記憶に残るらしい。