サファイア・マン《面白い男編》〔154〕必ずゲームでは子供達に勝てない自分を認識し、彼らが学校に行っているときにチャレンジ!!でも一向に彼らに勝てる自分は生まれません。その時に特性を思うのです。若い頭脳の特別認識で海馬のようなもの・・・。理屈では完全にようちゃんが勝っているはずなのに彼らがそれを覆すときが往々にしてあってそれがゲームの臨場時・・・。ボスを倒すとき。このヒントは重要で若者イクオールゲームはダメ!!という古い思想を根本からひっくり返し、ようちゃんは逆にゲームを揃えてやることに自身を固定する。彼女や彼らの強みをその時点で認めそれを自分が追い抜こう!!などと思わなかったことが吉と出た・・・。ようちゃんはゲームを作り出す市場を目指す訳でもなく、それを楽しむ側でもなく、子供達がユーザーとして親の替わりを務めているという認識で盛り立てた。お金を賭してそれを経験するということはお金を掛けてレッスンを受けるの同位。だからこそ、時間というものをシェアする中で、ゲームにも当然、有意義なものと無意味なものはあって、それぞれを自分の感覚で選択していくことが大事だと読んでいた。遅かれ早かれゲームの達人にやがては各人が成っていく、しかし・・・物語を自分で編むという形式なのなら?広大な思想をバックに綴じられる人生のゲームもある!!そこを捉えるのも各人適宜と捉えたのです。