イエローダイヤ・マン《標榜編》〔295〕俺は法外なことに気が付く。反対語群にも希なグループが存在することで、大富豪と乞食のように分かり易いもの以外。特別グループとして俺が挙げたいが、このことの意義は大きいなと即時したり顔になる。ニッポン語の深層についてをこの国の国民がまだ、理解すらしていないことに心、騒然となるのだ。無視の反対語は有視ではないということだ。無視できなくなる・・・こうだろう。するとこういった語彙群を発掘することがこの国を解体することに繋がるし、それから又、展開図を拾っていくのも妙味になる。自分達が完成された民族だ・・・と高を括っては居まいか?そこが大いなる死角になって我々の前に突如として立ちはだかるとすれば真夏の夜の夢以上のスリリングだ。俺たちの国をこれから背負う新世紀生まれが、ちょうど高校二年生・・・その時期の感化は、通常ではない。釣った魚に餌はやらないを通り超す感動を我々国民に提示するだろうし、釣った魚は海よりもデカい場合も想定しておかないといけない。無視の反対語は無視出来ない。この類の語彙を多く発見することが夏休みの語学課題となって子供達の夏にも寄与することは間違いない。十七歳のサマーフェスティバルと命名しておこう。