ルビー・ウーマン《ロイヤル・ボックス編》〔195〕まさお君との距離は翌年の成人式が来れば自動的に縮まるということで、そこでの安心もあったのかもしれないし、自分の仕事は作曲でいい曲を毎回頭に炸裂させていれば安心とのスタンスでいたのです。もちろん疑問も生じます。いい曲が出来てもそれを自分の頭の中だけで、常駐させてそこにストックするのみ?総合的に見ればその時にわからなかった迷宮が、今謎説きを迎えた段階にあるといえるのです。作曲にまつわることと文章作成がほとんど乖離した仕事であるという間違った側面が打開され、作曲に関わった言葉たちの果敢さや物流勢にも目を配ると、焦ることなど全然なかったんだなあと振り返るのです。文章なら文章がそれのみで対応するのではなくキャロルの場合メロディが付帯されているのです。そしてその枠組みからいうとエッセーにもそれぞれの音楽が添付されてしかるべきで、発表の機会があればみんなの耳元に届けることも可能でしょう。キャロルは喫茶店で多くのBGMを聞き、好感度のある音楽がその時の聞く人の状況で変わっていくことに気がつきます。いつ聞いても自分を淘汰し、エネルギッシュにしてくれる曲など、ほぼ見つかりません。しかしそれを図らずも見つけたときには心に虹が掛かるのです。レインボーハートでケサボイしておきましょう。