イエローダイヤ・マン《標榜編》〔180〕ふっと息をつくと大きな包容力にしっかり抱かれている自分を感じ、このままふわっと浮かんでしまいそうになる。脱力感ばかりが多かったあの時代を潜り抜けようやく海中から水上に出た瞬間ではなかっただろうか。それまでは何もかも信じられなかった。為政者が言うこともニッポン有数といわれる経営トップの言うことも雲の上の出来事で、俺には波及なし!!とそう決め込んでいた。それがどうだ?俺はそういう実力者の言質や真意についても逐一把握出来るようになって、しかも限界すら見えるようになってしまったから、こ、これは・・・と襟を正す場面になっていく。なぜなら俺のような人間にすべてを見積もられてはマズいのだ。若輩者で、しかも政治の中枢すら経験ない。見たこともないこの俺がこれくらいだろう・・・と高を括る姿勢にあえて出る、出ることが出来るというのがシビアな背景だろう。若者を全く今の政治家が包括していない原拠がここで合流する。若者が何を悲嘆しているのか?どんな未来像を描きながらニッポンに期待しているのか?そしてどんなビジョン展開をよしとしているのか?そこが全く聞こえてはこない。もっともその方が俺にとっては有り難い。そこまでキレるニッポンなら俺の居場所すらなかっただろう。