イエローダイヤ・マン《標榜編》〔105〕俺は今アメリカで、1984という数字が飛び交っていることに興味を持つ。その小説のことを調べたがたいしたことはない。もうひとつの真実に纏わる物語だが、そういった内容よりも俺が震撼したのは、1984ダイヤランドだ。長崎に住むとき頃遊戯王ゲームでトップを争った友達がここにいた。お泊りこそしなかったが、ダイヤランド1984の刻印が俺をいざなうのだ。葉山の西友近くのビルにも俺は馳せ参じ昔からここは家具やがあった。今はどういう店舗が入るのだろう。二年間しかいなかったが俺が住んでいたのは東長崎区。この北部方面へは滅多に行けないが俺はバスで練り歩いた。土日は結構動けたのだ。バスケの練習試合の後で俺はゲームに嵌っていたのだ。南長崎に位置するダイヤランドは懐かしい俺の紋章なのでは?つ・ま・り初のゲーム上のライバルはここから出現してきたからだ。女子ももちろんいた。男女とも垣根がないのがこのゲームバトルの真骨頂で俺はフクオカのベスト電器で行なわれた九州大会までいったが初戦で落としてしまう・・・。そのときに俺が培う精神で今まで持ってきた可能性はあって、力を最初に出さないと、そこで、振り落とされてしまいかねない!という人生鉄則。これをわきまえると人生塞翁が馬路線は堅い。馬は腐るほどいるからだ。