ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔177〕成長のプロセスの段階でいえば小学校三年生を区切りに大人への登竜門を果たして行くし、そのプロセスとは主に自己と他者の関係です。クールで他者との相互関係をスルーしがちな人間でも後年に於いて自己を是正さす程の人物と出会えれば別ですが、色々な差違はあっても小学校四年というと大体自分の本質は見えてくる。その人生に於ける取り組みがなんなのか、本人にも見えてくるという絶好の時期を迎えます。キャロルは小学校一年から三年間、非常にきめ細やかな教師と出会ったお蔭でしょう。自分の野放図な習性と向き合い嫌と言うくらいの確認に及ばされます。整理整頓が肝心でそれなくしては人生を上手く渡れない。今になってその深い愛を感じ取ることが出来るようになってきたし、もしも紙切れでもその有効度や貴重性はわかります。そう・・・キャロル側は担任を忌み嫌っているように見えてこの教師は大きな得点を稼いでいるということです。記憶さえままならない人生など作家たるや存在しない。そこまで言うと誰のことかは想像つくでしょう。こんな女子が四歳上にいたとはどんなに凄いことでしょう。諺にもあります。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・と。彼女の追及の手が全く緩まないようにキャロルもそこは肝心と手綱を取ります。これからが二十一世紀の始まりだからです。