ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔175〕主婦の仕事は単調だけれどそういう物足りなさをバイマシにさせるものがテレビで母は一日の大半、テレビに時間を割いていました。何か外で働くことは?ありません。二階が家族のゲージで家の中でのんびりと過ごす様子が牧歌的・・・近年こういう言葉が世間を圧倒させました。放牧ですね!あのときにふと思ったのはこういういい言葉が当時はなくて、母をヒトコトで称するなら永遠放牧だったと思うのです。頭角を現す必要もなく家庭内でその日その日をそつなく過ぎれば物事は穏便に推移していく。女性の歴史を編み上げていることは確実で、しかしなんら社会に影響を与えることもない生活を積み上げていく姿にそれでよし!とする自分と、それだけでいいのか?とするふたつの選択が生じてきたのはいえます。母はどこかで思いあぐねていたに違いない。途中で断念した英才教育です。どこかでそれを再開している自分でいなければ母の中で了承は得られるはずはない。両者の中では大きな問答は繰り返されてたとえ、口に出さなくとも進展は日々あったのです。そこにある楽曲、或いは世間で折々公開される文学、或いは熟知された文学を紐解くことが自分の役割ではない!!との強い理念でキャロルはいてそれを母は歓迎しました。それをやるのに最高の環境は整ってきたのです。自分の思いは口に出してあれこれいわずとも交換出来たのです。