サファイア・マン《緻密な男編》〔115〕ピアノは程なく運ばれてきます。みんなが一斉に近寄ります。子供達にとっても嬉しいお品だったし、それは情操教育の始まりでもあったのです。キャロルはこういう方法を取っていました。自分と子供との距離についてです。みんながそれぞれ没頭するものがあって、したためることよりも前に当時は音楽があったこと、音楽を爪弾くときには自分の時間に浸っているときで、子供達に注意喚起したのは才能のボルテージについてでした。小さいときから音楽をやっていたキャロルは最初はそれこそ押し付けでやらされていたのです。しかしあるとき新フレーズを見出します。母と一緒に歌っているときですが、その瞬間は不意に訪れたものだった・・・・。芸術の機会がそれ程、貴重なものであるのは言える。と同時に絶対瞬間があって、そういった作曲の機会というものが母親と子供との間を往復することは歓喜ではあるものの、そう容易く獲得出来るシェアでもない。みんなが優しい気持ちになれる音楽そのものを子供達は互いに納得を軸に寄り添っていました。誰よりも喜んだのは長男だった。いつもどこかで寂しかったのでしょう。キャロルが相手にするのは長女や次女で、彼は感動の印を目で合図してきました。僕達はここで生活してくんだっていう彼の禊にも似た発奮がキャロルにじんと伝わるアトラスピアノの到来だったのです。