イエローダイヤ・マン《標榜編》〔57〕俺の友人にゲーム機器にいって構想を練っている友人がいた。なぜ、その友人なのか?警察官になる運命だった彼も自分の若い時代を捧げるにはやはりゲームしかないとそっちへ行った口で、盛んにいうのは昔のゲーム感覚の絶妙感で、お互いの家を行き来するのもゲームソフトを抱えてで、飲み物やお菓子を張り込むよりも、まずソフトの割り当てだった。ダブらないようにみんながおのおのを持ち寄り、コントローラーも多いときは四機使う。そういった持ち寄り思考がお互いの存在感をバイマシにした。今は孤立を極める社会でポケモンGOが出たことで、そこを免れたことは大きかった。俺は年金基金設立を若者がゲームを使用しながら脳内修練が先だと目星を付ける。企業にあった拠出年金機構も次々解散で、俺たちは杞憂どころか、希有に賭けないといけないくらいの位置まで追い詰められている。俺たちの父の世代すらそういう憂き目が来ているのだ。しかし明るい表情で始めることも先決事項だろう。俺はボーナスを若者に出そうと思う。そのゲームの中だが、素晴らしい発想を考え出したものが、書き込める、そしてそれを企画概念としてみんなで共有する。正しくゲームが現実社会を乗っ取るくらいの動きを見せ始めるときが俺たち1985年生まれの活躍の場になることだろう。