ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔166〕ちょうど韓国が今の大変な国の事情もあってか、学歴社会の頂点にある国ゆえの苦難だと捉えていますがキャロルはまだ、その頃のニッポンが学歴社会になってはいない、それを今の韓国の事情と比較しながら西暦1965年までを描いています。どうしてそのような苦し紛れの国家になっていったかはわかりませんが、学歴が即、その人の一生に係ってしまうという妄信をまず捨て去ることが必要でしょう。じゃあ、どうすれば国の中でいい仕事に就けるのか?本当にそこが肝心なんです。勉強しながら身につけることなんです。自分国のことに終始せず、世界的視野を身につける。外国へいく必要はありません。お金のない人々にはそこをいわず、これからの国際社会を順当に生き延びていくために学びたい人々はどんどん世界の情報を繰り入れることで井の中の蛙からは脱却出来るでしょう。キャロルにとって、文字がすべてで、数字なんかは縁もゆかりもないんだ!とそう決め付けることが起こらずそこが好結果に起因しました。文学に数字が縁がないとはいえません。自分を支持し読んでくれる人々の占める割合はシビアな査定です。これもヒントになったでしょう?そして今はインスタント味噌汁で、家族が了解してくれるまでになったことが誇りです。お母さんを煩わしてはいけない!って理解が生まれています。