イエローダイヤ・マン《標榜編》〔19〕俺たち1985年生まれ以降のフレッシュマンはこう言えないだろうか?母達が自由な気持ちで子育てをしていたということだ。その時代を振り返ると、自由奔放の四文字がとても合っていて俺の家こそ恵まれていた。何しろ父は養子のような出で立ちだったのだ。母は親の面倒を看てそれこそ介護も長かった。しかしその実父が亡くなってからは母はジユウホンポウを絵に描いたような生活に変わる。ホンポウは俺たちへの教育にも関与で、母は俺が中学時代にうるさかったことも高校時代には激減、落ち着く。余りキーキーいわなくなった。よく鑑みると介護の時代を終えて心配事がなくなったケースだったと俺は当惑する。そしてこの高校時代だが、父親を仕事に送り出してその後、片目でアッカンベーをやり始める。こころ穏やかではない俺だったがそれは常にではなく時折だった。母から言わせれば彼には彼の理想があるけど私には私サイドの理想があるって。聞き出したときに俺ははっきりわかったのだ。夫唱婦随の家庭でもこういった亀裂があるということは、普通一般の家庭ならもっとそこはあらわに出るだろう・・・と。そして母がこういった私サイドの理想を言い出したキッカケが父親の断固として譲らない方針にあったというから考えさせられる。