サファイア・マン《緻密な男編》〔107〕夕暮れの買い物客や、電車から降りた客たちの行き交う道すがらキャロルは自分が全く縁故のない主婦のような気がして悲しかった。この一件をくやしくても話す相手が存在しない。夫はどう取るかと思うと身震いがしたし、逆にそういうことに巻き込まれてしまったことは自分も関与だといってもしかしたら反省してしまう場面かもしれない。しかし・・・待てよ、彼は親身になって心配すらしないのでは?との結論に達するのです。キャロルはヤンキーでありヤングである強靭な自己をヤンママを見出します。それを立脚したのは孤独と潔白だったのです。レシートなんか普段は受け取らないのに、なんであの場面はきちんともらいバッグに入れたのでしょう。おかしかったし奇妙だったからです。そして案の上の顛末。キャロルは自分のこころをこの時に模様替えしたし、直感もする。誰も守ってはくれない社会も実際に存在し、それはレシートを持っていたことがわかっても丁寧な謝罪が行なわれず、すみませんでした。。で終わったことも関与でした。そういう日常茶飯事にも起こる誤解場面で主婦の立場はすこぶる低くて、それは養われている身から起こる粗末な計らいだった。主婦の立場を上げることは自分に全く関係なく、むしろ疑うべきは自分のさい量だったのです。謝罪をしてもらっても始まらない・・・と。この問題をアルバイトに謝らせることも可哀想と配慮した。その日配属だった可能性も充分ありうると思ったからです。