俺は今回のオリンピックを別の眼差しで見つめていてそれをあやつにも説明した。俺は昭和十八年生まれだが、十五歳までは周囲は本当に貧乏だった。この村こそブラジル移民の村だったのだ。貧しさゆえだった。風呂も共同風呂で、山村は標高六百メートルを下らない。少し気圧も低かったのだろう。俺はあれだけ、肺を病んでも、どうにか生き延びているのは、小さいときの気圧も関係かも?と少し思う。近所に数家族ブラジルへ移民していった人々が存在したのだ。富士町・・・そこのみんなで送った。別れを惜しみ会を催した。夢などない、ただ食うためにブラジルへ住を映したのだ。キャロルは平然としていて、俺の話を聴いてもうんともすんとも言わない。俺はあのときに離れた村友がこのブラジルオリンピックの観客の中や、警備員や、係り員にいるのでは?とふと思った。懐かしさがこみ上げてきて、涙でそうになっている。あいつはそれなのに、何と言ったか・・・ナゲカワシイ。ペルーと間違っているのだ。藤森さんもそうだったの?って。俺は暫く声が出なかった。デルスカイしておこう。開いた口が塞がらない女房。奏じでアンドワイフだ。☆アンドロイドのロボットの方がマシ~~☆