文人や文豪が政治とツルムようになったら国は恐ろしい結果が待っている。その特別意識っていうのは大事で、何も自分を特別枠に置いとこういう穿った観点ではなく政治の手腕を見せる場面で、そこまで、文豪ははっちゃけたり、はしょったり、ハッタリかませてはいけないっていう鉄則あるんだ。もちろん自分も生涯に於いて政治家はない。文豪でももしかすれば自分この国をどうにか出来る?って思うことはあるかもしれない。しかし政治構図を見るときに後ろに引くと思うんだ。それ相当に知名度あって、若者取り込めるっていう作家はまだいないし、石原さんは作家も政治家もこなせたっていう特別の人だったって尊敬する。自分なりの道が理想が確固としてあったからだ。そういった理念も未熟で政治家になればアダ花になってしまうのが落ちだし、地震雷火事オヤジを石原さんが標榜したことは後々の歴史教科書にキャロ推薦文を載せたい気分だ。オヤジを親字とこれを機に変更したい。それほどその実績は大きい。大概男は家に帰るとアマチャンになってそれを恥としない例多くて、キャロルの周囲にもひとりしかいない。ま、希少価値でいえば、現在過去近未来親戚一同一族にいてひ・と・りだろう。トッポキャロ構想、今こそ親字の真価を知るいい機会だろう・・・。