俺は幾分言い過ぎる性質があって、それにハドメを掛ける手ブレーキも必要かもな、と自覚する。俺は本当に教育熱心な妻が欲しかったが、キャロルは一回も勉強しなさい!をいわない。これに関しては俺は口を酸っぱくして最初の間、それこそ子供達が小学校時代は俺自身が子供に声を掛けた時点で言った。言いはした。しかし妻の姿勢が最も大事だということに気が付く。子供は両親の言葉を頭の中で聞き分けるのだろうか。妻が例えば全く発しなければ、いくら父親が言っても上手く収まりをみない。それくらい母親の発言が大きいことを思い知る。石原家は恐らく特別仕立てだったのだろう。石原慎太郎さんの家の中ではどんな顔で父親が闊歩していたかそれをときたまタレントであるご子息が語るが、俺はそれこそがニッポンの父親原型だと信じて疑わない。もちろん大作家であり政治家であった石原家と我が家を比較しても良くない。我が家はサラリーマン家族だからこそ、彼の家に負けないような節約志向があってもいいのでは?と逆に俺は躍起になってはいたが小学校時代を過ぎて俺は言わなくなった。あいつのモノカキとしての姿勢も知ったからだ。私は自己主張するために生まれてきたのよ、家族の事柄よりも優先なの!!俺たちは舞台背景のひとつということだろうか?壮絶な疑問符噴火。デルスカイしておこう。リニューアル結婚行進曲である。